2018年8月18日土曜日

Blue Moon of Kentucky /ブルームーン・オブ・ケンタッキー



Blue Moon of Kentucky 
/ブルームーン・オブ・ケンタッキー


・・・・「ブルームーン・オブ・ケンタッキー」


1954年はロック誕生の年とされている。1954年に発表され2500万枚をセールしたロック・アラウンド・ザ・クロック」(Rock Around the Clock)がロックンロール最初の曲というわけでない。
大滝詠一氏と山下達郎氏のマニアックな会話ではやはり、エルヴィス・プレスリーがテネシー州メンフィスのサンレードで録音した<Blue Moon of Kentucky (1954)>と認識されているようだった。
このレコードはA面が<
That's All Right >で、こちらの方が有名だが、両氏の認識は僕と同じで、<Blue Moon of Kentucky (1954)>のようだ。原曲はブルーグラスでビル・モンローという大物シンガーのヒット曲。最初はスローバラード風な演奏、真ん中辺りからアップテンポの演奏になるのが特徴的な曲。

エルヴィスは最初からBlue Moon〜Blue Moon〜と疾走する。
これを聴いたビル・モンロー自身が驚いた。


エルヴィス・プレスリーについて、次のように紹介されている。

黒人のリズム・アンド・ブルースと白人のカントリー&ウェスタンを融合することによって、今までにない新しい音〈ロック〉を誕生させ、広めた人物として知られる。

初期はアメリカ、そして世界中の若者にロックンロールによって人気を博し、後期になるとラスベガスの舞台でカントリーやゴスペル、バラードなどを歌い、万人に愛される人物となった。」

正確さに欠ける。実はこの段階では、リズム・アンド・ブルースもカントリー&ウェスタンもないに等しかっただ、それは後付けで付いた話で、ブルーグラスとブルースと言った方が正しい気がする。ロック・アラウンド・ザ・クロック」も同じで、正確にはロックンロールという言葉もなく認識もされていなかった。

ただサンレードのオーナー、サム・フィリップスは、感覚的にブルーグラスとブルースをミックスして歌える白人がいたら絶対に売れると予測していて自費で録音にやってきたエルヴィスに目をつけて、スタジオのバンドをつけてセッションを繰り返させていた。
1954年のある日、この曲のA面が歌われた余韻のさめない内に矢継ぎ早に<Blue Moon Of Kentucky >が歌われた。
ドアが開き、サムが飛び出してくる。「おい!凄いぞ!いままでのサウンドと全く違う!それはポップ・ソングだ!」ニューミュージック誕生の瞬間でした。驚きの音声はいまも残っています。

だからエルヴィスのバンドのスタイルは、ドラムはなく、弦楽器(ギター、ベース)のみだった。ブルーグラスを原点として、電気楽器(ギター、キーボード、スティールギター)、ドラムを入れて演奏するのが、カントリー&ウェスタンで、エルヴィスの場合カントリー&ウェスタンにもなっていなかった。

だから自分は、エルヴィスの声が楽器だったと言ってるが間違いでもない。

ブルーグラス+カントリー&ウェスタンのスタイルでエルヴィスの後を追いかけたのが、バディ・ホリーだった。

わずか22歳で飛行機事故死したバディ・ホリーのスタイルをそっくり継承したのがビートルズだ。



いまもメンフィスのサンレコードの看板には「ロックンロールの発祥の場所」と書かれています。

1999年8月15日、自分はエルヴィス・プレスリーの邸宅から、メンフィスの青い月を見ていた。

ボーッとして歩いていたら、邸宅の前で車に轢かれそうになりした。
危機一髪を救ってくれたのは、もちろん故エルヴィス・プレスリーでした。





2014年10月11日土曜日

今夜は快調! GOOD ROCKIN' TONIGHT



今夜は快調! GOOD ROCKIN' TONIGHT

エルヴィス・プレスリーにとってサンレコードからリリースされた2枚目のシングルA面に収録された、エルヴィス・プレスリーの歌うこの歌<今夜は快調!>こそ、ロックンロール第一号と言ってしまっていいだろう。

<今夜は快調!>のB面には<お日様なんかでなくて構わない>が収録されたが、こちらはロカビリーです。

最初のシングルは、ロックンロール誕生を告げるものだが、やはりロカビリーである。

それらと比べると<今夜は快調!>は明らかに違う。

今夜は快調!>はニューオーリンズ、リズム&ブルースで有名なピアニスト、ロイ.ブラウンの48年度のヒット曲。それをエルヴィスは最初のシングル同様、スコティ・ムーア(ギター)、ビル・ブラウン(ベース)と共にエルヴィス流に歌いこなしていて、ロックンロールに仕上がっている。

この曲は、後にジェームス・ブラウン、ポール・マッカートニー、バディ・ホリー、ジェリー・リー・ルイス、ライオネル・ハンプトン、パット・ブーン等、ロック、ポップスの歴史を語る上で欠かせないミュージシャンがカバーしている。

<お日様なんかでなくて構わない>と共に、テネシー州メンフィスのサンレコードで録音。1954年9月25日、サンレコードが発売。





エルヴィスがいた。

お日様なんか出なくてかまわない I DON'T CARE IF THE SUN DON'T SHINE




お日様なんか出なくてかまわない
I DON'T CARE IF THE SUN DON'T SHINE

元旦は、初日の出を拝むのが一般にあるべき姿だ。

しかし中にはこういう奴もいるのだ。「お日様?そんなもの、どうだっていいぜ!」


<お日様なんか出なくてかまわない>は1949年のディズニー映画『シンデレラ』のために作られた楽曲。

映画には使用されずにいたが、パティ・ペイジが1950年に録音。TOP100で8位にチャート・インした。

エルヴィス盤はサンレコードで<今夜は快調!/Good Rockin' Tonigh>のB面としてシングル・リリースされた。

デビュー2枚目だが、前作<ザッツ・オールライト><ブルームーン・オブ・ケンタッキー>以上にロッカー、エルヴィスの輪郭が鮮明だ。

以前、それも比較的最近に書いたことだけど、エルヴィス・プレスリーほどまっすぐに歌っている人は少ない。テクニックを用いず、それでも他の誰のパフォーマンスよりも胸を打つものが多い。

大半がそうなのだが、それではハートで歌うから努力は不要かと言うと、それほど単純でなく、明らかに努力がほどこされているのはアウトテークを集めた『エッセンシャル・シリーズ』を聴けば明らかである。特に50年代のエルヴィスのそれは情熱と意志に塗りたくられていて、聴きごたえがある。
エルヴィス自身は決して『エッセンシャル・シリーズ』などは出してほしくなかっただろうが、エルヴィスが努力と工夫の人であることを証明する意味では貴重な記録だ。

<愛しているって言ったけ>などが顕著な例だと思うが、最初はエディ・コクランかと思うほどだが、同じテークの途中からエルヴィス色に染まっていく。何回目のテークではすっかり変わってしまっている。





エルヴィスは試行錯誤する間に自分の現実と空想と架空を交叉させ、その中からもっともふさわしい”エルヴィス・プレスリー”を見つけてくる。

見つけたら最後、楽譜のなかに置くのではなく、思いきり奔放に音楽の中に投げ込み躍動させる。

音楽の激流の中で誰にも邪魔されずに”エルヴィス・プレスリー”は自分の神に心を開いているようである。

同じようなことが数々の曲で伺える。

歌も伴奏も最終的に選ばれたテークとあまりにも違いすぎるものが珍しくない。

完成されたものへまとめていく姿はエルヴィス・プレスリーの真実を語っているだけでなく、エルヴィスと彼等がチームであったことを証明している。




それはサン・レコードのオーナー、サム・フィリップスの躾であり、サム・フィリップスの流儀だったのかも知れない。

その意味で<お日様なんか出なくてかまわない>は、サンで録音した楽曲の中でも特長のない仕上がりで、「標準」レベルに留まっていて物足りない気がする。

しかしエルヴィスにもサムにもこれで十分だったのかも知れない。

逆に言えば他の曲があまりにも凄すぎるということである。と言うものの叩みかけるように一途にドライヴするエルヴィスならではの強い声と熱さで彩られたパフォーマンスはこの歌詞のままである。

愛はお日様とどこかに行ってしまったようで、ここではひたすら熱くただただ夜に向かっている。

ガラスの靴でも柔らかな足に変えてしまいそうな勢いである。

エルヴィスは聴きやすいパフォーマンスで楽しませる。

* Well, I don't care if the sun don't shine
l get my lovin' in the evening time
When l'm with my baby

Well, it ain't no fun when the sun's around
l get going when the sun goes down
When l'm with mu baby

** Well, that's when we're gonna' kiss and k kiss
And we're gonna' kiss some more
Who cares how many times we kiss
Cause at a time like this, who keeps scores

and kiss and

* Repeat

** Repeat

* Repeat

And it don't matter if it sleet or snow
A drivin's cozy when the lights are low
When l'm with my baby

Makes no di~erence if the rain comes down
l don't notice when she's around
Oh boy, what a baby

*** Well, that's when we're gonna' kiss and kiss and klss and kiss
And we're gonna' kiss some more
One kiss from my baby doll
Makes me holler more, more, more more

* Repeat

*** Repeat

* Repeat


*お日様なんか出なくても構わない
夜になってからたっぶり愛を語るんだ
僕のベイビーと二人の時に

お日様なんか出てたらつまらない
日が落ちてからが本当のお楽しみ
僕のベイビーと二人の時に

**そしたら二人はキスして、キスして、キスして、キスして
もっといっぱいキスをする
何回キスしようが関係ないさ
だって一体、誰が数えてるっていうんだい?

*くり返し

**くり返し

*くり返し

みぞれだろうと雪だろうと構わない
夜のドライブは楽しいものさ
僕のベイビーと二人の時は

雨が降ろうと構わない
彼女さえいれは気づかない
ああ、なんていい娘なんだろう

***そしたら二人はキスして、キスして、キスして、キスして、
もっといっぱいキスをする
愛しいあの娘が口づけくれれば
僕は叫ぶよ、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、ってね
カラオケ屋さんで偶然手にした楽曲ブック。”ピックアップ・アーティスト”としてエルヴィス・プレスリーが取り上げられていた。
その短いコメントに身体が震えた気がした。

エルヴィスの歌の巧さ、声の良さ、ドラマティックな人生などについ隠れてしまいがちであるが、それこそ愛ピエロが一貫して伝えたいことであり、聴くほどに確信することなのだ。
彼の後に出た者は皆彼のコピーに過ぎないと言う者も多いが、私はそうは思わない。
没後25年経った現在でも、誰も彼の音楽の内に潜む核の部分を模擬しきれないでいると思うからである。
彼こそが、ロックンロールの中に「孤独」を表現し得た唯一無二の存在だと思うからである。
-------本誌編集部



カラオケを配信している会社がどちらだったのか、嬉しくてこのコピーがエコーするので、つい忘れてしまった。申し訳ないが、チェックしてくるまで名無しの編集部でお待ちください。



ELVIS 30#1 HITS
2002年9月25日全世界同時発売
1. Heartbreak Hotel/ハートブレイク・ホテル
2. Don't Be Cruel/冷たくしないで
3. Hound Dog/ハウンド・ドッグ
4. Love Me Tender/ラヴ・ミー・テンダー
5. Too Much/トゥー・マッチ
6. All Shook Up/恋にしびれて
7. Teddy Bear/テディ・ベア
8. Jailhouse Rock/監獄ロック
9. Don't/ドント
10. Hard Headed Woman/冷たい女
11. One Night/ワン・ナイト

12. A Fool Such As I/ア・フール・サッチ・アズ・アイ
13. A Big Hunk O' Love/恋の大穴
14. Stuck On You/本命はお前だ
15. It's Now Or Never/イッツ・ナウ・オア・ネヴァー
16. Are You Lonesome Tonight/今夜はひとりかい?
17.
Wooden Heart/さらばふるさと
18. Surrender/サレンダー
19. His Latest Flam! e/マリーは恋人
20. Can't Help Falling In Love/好きにならずにいられない
21. Good Luck Charm/グッド・ラック・チャーム
22. She's Not You/あの娘が君なら
23. Return To Sender/心のとどかぬラヴ・レター
24. Devil In Disguise/悲しき悪魔
25. Crying In The Chapel/クライング・イン・ザ・チャペル
26. In The Ghetto/イン・ザ・ゲットー
27. Suspicious Minds/サスピシャス・マインド
28. The Wonder Of You/ワンダー・オヴ・ユー
29. Burning Love/バーニング・ラヴ
30. Way Down/ウェイ・ダウン

Bonus Song: A Little Less Conversation (Radio edit)/
ア・リトル・レス・カンヴァセーション(ラジオ・エディット)

ボーナス・エンハンストCD 収録ビデオ
1. A Little Less Conversation (Original)  ア・リトル・レス・カンヴァセーション(オリジナル)
2. A Little Less Conversation (Extended Remix) ア・リトル・レス・カンヴァセーション(JXLリミックス)
3. A Little Less Conversati! on (Music Video) ア・リトル・レス・カンヴァセーションMTVビデオ・クリップ





2010年10月17日日曜日

ミステリートレイン/

MYSTERY TRAIN



ミステリートレイン/

MYSTERY TRAIN

♪ 列車だ、列車が来るよ、線路を走って
あの娘を乗せて戻ってくる
俺のあの娘を、あの娘は俺だけのものさ
俺のあの娘を、あの娘は俺だけのものさ ♪

ロックンロール史上、
もっとも
悲しくうれしく
美しい奇声です。



喪失の彼方にある再生ロックンロール全部を聴いたわけではないが、
これを超える奇声はないと言い切ってしまう。


1954年。
まだ誕生したばかりのロックンロールは、
未熟でも、たくましくて
「負けずにいることができるのだよ」ということを
たったひとことの奇声で語り尽くしたのです。

あきらめるしかない。
人生がそんなものだってことは綿摘みをしていたお袋が背中で語っていた。
真夜中に寝返りを打てずにため息をついていた。
自分の力や意志だけではどうにもならないのが人生さ。
あきらめた男たちが線路脇に並んで列車を眺めているようだ。
ミステリー・トレインはこれ以上ない確実な音を刻んでばく進する。



着いた列車は16両編成
着いた列車は16両編成
あの長く、黒い列車があの娘を乗せて行っちまった

。

エルヴィスはあきらめない。
連れさられたあの娘を追う。
スコティ、ビル、三人は企んだ。
爆走する列車より前に出るんだ。
ビルが弾みをつけ、スコティは激しくギターをかきならし
エルヴィスは自らのギターで突進し、列車の前に出る。
ハイテクの力ではない。肉体がきしんでいる。

幽霊や悪魔なんて、くそくらえと3人は石を投げる。


エルヴィスは列車に飛び乗り、方向転換させた!

列車だ、列車が来るよ、力一ブを曲がって
列車だ、列車が来るよ、力一ブを曲がって
二度とあの娘を連れて行きはしないだろう

列車だ、列車が来るよ、線路を走って
列車だ、列車が来るよ、線路を走って
あの娘を乗せて戻ってくる
俺のあの娘を、あの娘は俺だけのものさ、

列車だ、列車が来るよ、

力一ブを曲がって
列車だ、列車が来るよ、力一ブを曲がって
二度とあの娘を連れてったりしないだろう

「もう二度とあの娘を連れていかせないぜ。」と黒い鋼鉄の列車を睨めつける。
そうだ、ブルースの偽物なんて言わせはしない。



16両の黒い列車は反対に走り出した。
日の出に向かって走り出した。


サムは両手を叩いて喜んだ。「やったぜ!幽霊が泡食ったぜ!」


祝砲だ!列車の最上部でどんちゃん騒ぎだ。
三人のときめきの音が線路に響く。

列車だ、列車が来るよ、線路を走って
列車だ、列車が来るよ、線路を走って
あの娘を乗せて戻ってくる
俺のあの娘を、あの娘は俺だけのものさ、

<Mystery Train/ミステリー・トレイン>

「あの娘を乗せて戻ってくるのさ、俺のあの娘を、あの娘は俺だけのものさ」
悪霊のブルースの彼方まで行きながら、

ブルースの魔の手に染まらなかった。
「ぼくは誰にも似ていません」
エルヴィスは「俺だけのあの娘」を自分の叡智で守り抜いた。
宝物を守り抜いた。

U-----U-----U------h
汽笛と共に、活気に満ちた少年のような歓喜の声がした。

どこかで犬の遠吠えが聞こえた。

エルヴィスはあの娘とどうしたのだろうか?
この『FOR LP FANS ONLY』のジャケットがすべてを語っている。





MYSTERY TRAIN

Train arrive, sixteen coaches long

Train arrive, sixteen coaches long

Well, that long black train got my baby and gone



*Train, train coming round, round the hand

Train, train coming round the bend

Well, it took my baby but it never will again


Train, train coming down, down the line

Train, train coming down the line

Well, it's bringing my baby

'Cause she's mine, all mine
U-----U-----U------h

サン・レコードのオーナー、サム・フィリップスはスタジオでこの曲をエルヴィスに歌わせた。
エルヴィスはこの曲が正式にリリースされるとは知らなかった。

サム・フィリップスは後日「私がエルヴィスにしてやれた最高のことだ。」と語った。
この歌がどんなに素晴らしい歌か、この一節が永遠にしている。
'

Cause she's mine, all mine
U-----U-----U------h




これはもう、めちゃくちゃにカッコいい”ロックンロール”です。

そうだよ、あの娘は君だけのものさ。


エルヴィス・プレスリーの音楽が他のものと決定的に違うことを語るものです。

ロックは街に溢れています。

だけどこんなに素敵なロックンロールは、どこを探しても見当たらない。

早々に、あきらめて、ごまかすのが得意になった時代に、いまが旬の曲です。
勝つことができなくても、負けずにいることができるのだ。 
<ミステリー・トレイン>は
ジム・ジャームッシュ 監督によって、映画にもなりました。

ジャームッシュ監督通算4作目にして、初めてのカラー作品。

人間のもつユーモアとやさしさをほのぼのと描き、
89年のカンヌ映画祭で最優秀芸術貢献賞を受賞しています。

永瀬正敏と工藤夕貴も出演。


2010年5月27日木曜日

テネシー州メンフィス


テネシー州メンフィス

1954年、エルヴィス・プレスリーはサム・フィリップスと出会います。場所はテネシー州メンフィスの市街にあるサンレコードのスタジオです。

アメリカ南部に位置するテネシー州は、「風と共に去りぬ」の舞台になった州で、メンフィスは総人口50万人中20万人(1960年)の都市です。南部の農村には黒人が多く住んでいました。その黒人たちがテネシーの都会メンフィスというに集まってきたことが人口が増えた主たる原因です。

南北戦争は「風と共に去りぬ」の背景になったアメリカ国内を2分した歴史的な戦争です。1861年~1865 年の5年間に及びました。奴隷制存続を主張するアメリカ南部諸州のうち11州が合衆国を脱退したことに起因します。合衆国にとどまった北部23州はアメリカ連合国を結成し対抗します。

南部は農業中心のプランテーション経済が盛んでした。プランテーション経済とは、黒人奴隷、先住民など安価な労働力を使って単一作物を大量に栽培する大規模農園のことです。南部の特に綿花をヨーロッパに輸出もあり繁栄していましたが、それを支えたのが黒人奴隷の労働力でした。

一方北部は急速な工業化が進んでいて、新たな労働力を必要としていました。工業化が進んだ原因は1812年~1814 年に起こった米英戦争です。英国工業製品が輸入できなくなったことで、急速な工業化が起こったのです。また欧州製の工業製品よりも比較優位を保つために保護貿易が求められていました。奴隷制に対する態度と貿易に対する態度の両方で真逆の立場だったのです。事態は日を追いエスカレートしていきますが、それ以前からあった北部の自由州と南部の奴隷州の対立も同時に激化する火種になったのです。

さらに、財政難で苦しむフランス(ナポレオン1世)から購入したルイジアナと、メキシコから「独立」したテキサス共和国とカリフォルニア共和国をアメリカ合衆国に加えるにあたり、その所属をどうするかを人民主権のルールにより投票で決めることになりました。これによってそれまで上院で保たれていた自由州(北部)と奴隷州(南部)の均衡が崩れ出したのです。>南部にすれば、自由州側の方が上院議員数が多くなることを危惧しました。これが事態をさらに深刻化させ対立を深めます。

余談ですが、米英戦争のことは「パトリオット」、テキサス共和国のことは「アラモ」、カリフォルニア共和国のことは「ゾロ」で、それぞれ語られています。

1860年11月の大統領選挙では奴隷制が争点のひとつになりました。奴隷制の拡大に反対していた共和党のエイブラハム・リンカーンが当選。南部では不安が広がった。

同年12月には、ますサウスカロライナ州が連邦からの脱退します。さらに翌年1861年2月までにミシシッピ州、フロリダ州、アラバマ州、ジョージア州、ルイジアナ州、テキサス州も連邦から脱退します。2月 4日にはこの7州が参加したアメリカ連合国を結成します。アメリカ連合国は、南部連合、南部連盟、南部同盟、アメリカ南部連邦とも呼ばれますが、「ディキシー」と呼ばれていることで馴染み深いでしょう。これによって同年11月に選挙が行われジェファーソン・デイヴィスが当選。アメリカ連合国の暫定大統領に指名されます。

この時点では、奴隷は個人の私有財産とする決まりがあったので、リンカーン自身は奴隷制廃止を宣言していませんでしたが、アメリカ連合国の暫定大統領が決まったことで、南北の亀裂は決定的になります。

De de de de de,de de de de de・・・<ザッツ・オールライト>にしろ、<ブルームーン・オブ・ケンタッキー>にしろ・・・・エルヴィス・プレスリーの心と身体には・・・・エルヴィス・プレスリーが生涯愛したテネシー州メンフィス・・・・エルヴィスの身体には南部の汗と涙と血で綴られた歴史が息づいていたのです。


(テネシー州メンフィス ビールストリート)

2010年4月15日木曜日

ザッツ・オール・ライト



ザッツ・オール・ライト

テネシー州メンフィスにあるサン・スタジオ。サム・フィリップスが1950年に作ったR&B専門の小さなレコード会社です。
まだプロでなかったエルヴィス・プレスリーが生まれて初めて1枚のレコードを自費で作った地元のサンレコード・カンパニーです。
母親へのバースデープレゼントだったという説がありますが、実際は自分の能力を確かめたくて録音したようです。レコード会社の秘書が「歌のうまい青年」とメモしておいたことが、エルヴィスをプロの道に踏み込ませる「チャンス」になります。

メモの内容はサムに伝えられ、サムに呼ばれたエルヴィスは、サムの命によって2人の青年・・・スコッティ・ムーア、ビル・ブラックをバックにつけて練習をします。

サム・フィリップスは、エルヴィスから放たれる白人にはないフィーリングに何かを信じていたようです。とはいうものの、練習の結果は、どれも期待したものではありません。

月日は流れて・・・ある日、疲れて休憩していたときに、エルヴィスが何気なしに自由気ままに演奏した瞬間、音楽の歴史は動きます。サムは「そのサウンドだ!」と飛び上がって興奮しました。この光景は 「エルヴィス・プレスリー サンセッションズ」に収録されているので確認できます。ロックンロール誕生の瞬間です。

そうしてデビュー曲<ザッツ・オール・ライト>が誕生しました。地元のラジオで放送された時、エルヴィスは映画館に身を潜めるように映画館にいました。スコッティ・ムーア、D.J.フォンタナは、町から追い出される覚悟をしていました。ラジオに聞き入るリスナーは黒人だと思ったそうです。やがて白人であると知られるようになると共に、エルヴィスは町中の関心の的になりました。

De de de de de,de de de de de、それは事件でした。

「おい、あれ聴いたか?」は、決まり文句のようになったといいます。
白人の若者たちのなかには黒人の奏でるR&Bに音楽的な魅力を感じていながらも、古くからの慣習である人種差別のため、聴くことも、レコードを買うこともできない状態にありました。理由もなく。

エルヴィスはその理由を蹴破ります。先駆者は軽々と遠い垣根を越えました。

   はじめること・・・     
         それはいつでもたったひとり

後にギネスだらけの20世紀を代表するアーティスト、正真正銘のスーパースター、エルヴィス・プレスリーの誕生です。ジョン・レノンが、キース・リチャードが、ボブ・ディランが、ブルース・スプリングスティーンが。。。。音楽をめざします。

2001年.その熱い思いをポール・マッカートニーはサンスタジオで確かめます。エルヴィスのバックを務めていたスコッティ・ムーア、D.J.フォンタナをバックに<ザッツ・オール・ライト>を熱唱しています。De de de de de,de de de de de 遅れてきた者の思いは、「歴史のはじまり」に駆けていきます。

ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ&ロバート・プラント、トム・ペティ、バン・モリソン&カール・パーキンス、ブライアン・フェリー、ボブ・ディラン、エリック・クラプトン&ジ・インプレッションズが集まっています。


       ♪それでいいんだ、ママ
   それでいいんだ、あんたのためにも
   それでいいんだ、ママ
   あんたの思うようにやりなよ

   だけど、いいんだよ 
   いいんだよ 
   もういいんだよ、ママ
   あんたの思うようにやりなよ

   オレのママは言ってたよ
   パパもオレに言ったさ
   息子よ、お前が夢中になってるあの娘は、
   お前のためにゃならないよって

   だけど、いいんだよ 
   いいんだよ 
   もういいんだよ、ママ
   あんたの思うようにやりなよ

   オレは町を出てくいくよ、ベイビー 
   確かに町を出て行くよ
   オレがあんたのドア回りをウロついたりして
   困ることもないさ

   だけど、いいんだよ 
   いいんだよ 
   もういいんだよ、ママ
   あんたの思うようにやりなよ

   De de de de de,de de de de de

   あんたの思いやりが必要だったんだ
   もう、いいんだよママ、
   どうだっていいんだ。