Blue Moon of Kentucky
/ブルームーン・オブ・ケンタッキー
・・・・「ブルームーン・オブ・ケンタッキー」
1954年はロック誕生の年とされている。1954年に発表され2500万枚をセールした「ロック・アラウンド・ザ・クロック」(Rock Around the Clock)がロックンロール最初の曲というわけでない。
大滝詠一氏と山下達郎氏のマニアックな会話ではやはり、エルヴィス・プレスリーがテネシー州メンフィスのサンレードで録音した<Blue Moon of Kentucky (1954)>と認識されているようだった。このレコードはA面が<That's All Right >で、こちらの方が有名だが、両氏の認識は僕と同じで、<Blue Moon of Kentucky (1954)>のようだ。原曲はブルーグラスでビル・モンローという大物シンガーのヒット曲。最初はスローバラード風な演奏、真ん中辺りからアップテンポの演奏になるのが特徴的な曲。
大滝詠一氏と山下達郎氏のマニアックな会話ではやはり、エルヴィス・プレスリーがテネシー州メンフィスのサンレードで録音した<Blue Moon of Kentucky (1954)>と認識されているようだった。このレコードはA面が<That's All Right >で、こちらの方が有名だが、両氏の認識は僕と同じで、<Blue Moon of Kentucky (1954)>のようだ。原曲はブルーグラスでビル・モンローという大物シンガーのヒット曲。最初はスローバラード風な演奏、真ん中辺りからアップテンポの演奏になるのが特徴的な曲。
エルヴィスは最初からBlue Moon〜Blue Moon〜と疾走する。
これを聴いたビル・モンロー自身が驚いた。
エルヴィス・プレスリーについて、次のように紹介されている。
黒人のリズム・アンド・ブルースと白人のカントリー&ウェスタンを融合することによって、今までにない新しい音〈ロック〉を誕生させ、広めた人物として知られる。
黒人のリズム・アンド・ブルースと白人のカントリー&ウェスタンを融合することによって、今までにない新しい音〈ロック〉を誕生させ、広めた人物として知られる。
初期はアメリカ、そして世界中の若者にロックンロールによって人気を博し、後期になるとラスベガスの舞台でカントリーやゴスペル、バラードなどを歌い、万人に愛される人物となった。」
正確さに欠ける。実はこの段階では、リズム・アンド・ブルースもカントリー&ウェスタンもないに等しかっただ、それは後付けで付いた話で、ブルーグラスとブルースと言った方が正しい気がする。「ロック・アラウンド・ザ・クロック」も同じで、正確にはロックンロールという言葉もなく認識もされていなかった。
ただサンレードのオーナー、サム・フィリップスは、感覚的にブルーグラスとブルースをミックスして歌える白人がいたら絶対に売れると予測していて自費で録音にやってきたエルヴィスに目をつけて、スタジオのバンドをつけてセッションを繰り返させていた。
1954年のある日、この曲のA面が歌われた余韻のさめない内に矢継ぎ早に<Blue Moon Of Kentucky >が歌われた。
ドアが開き、サムが飛び出してくる。「おい!凄いぞ!いままでのサウンドと全く違う!それはポップ・ソングだ!」ニューミュージック誕生の瞬間でした。驚きの音声はいまも残っています。
だからエルヴィスのバンドのスタイルは、ドラムはなく、弦楽器(ギター、ベース)のみだった。ブルーグラスを原点として、電気楽器(ギター、キーボード、スティールギター)、ドラムを入れて演奏するのが、カントリー&ウェスタンで、エルヴィスの場合カントリー&ウェスタンにもなっていなかった。
だから自分は、エルヴィスの声が楽器だったと言ってるが間違いでもない。
ブルーグラス+カントリー&ウェスタンのスタイルでエルヴィスの後を追いかけたのが、バディ・ホリーだった。
わずか22歳で飛行機事故死したバディ・ホリーのスタイルをそっくり継承したのがビートルズだ。
いまもメンフィスのサンレコードの看板には「ロックンロールの発祥の場所」と書かれています。
1999年8月15日、自分はエルヴィス・プレスリーの邸宅から、メンフィスの青い月を見ていた。
ボーッとして歩いていたら、邸宅の前で車に轢かれそうになりした。
危機一髪を救ってくれたのは、もちろん故エルヴィス・プレスリーでした。